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メディアの多くは、ブライトリングが機械式クロノグラフを救ったと述べる

それをうかがわせる証拠が、シュナイダーが初めて手掛けた「ナビタイマー クォーツ2100プルトン」(80年)であろう。搭載するのはESA/EEMが77年(公式には78年)に発表したキャリバーESA900.231。シクラの価格帯では決して搭載できなかったであろう、高価で多機能なデジアナムーブメントであった。しかしシュナイダーはこれに満足できなかったようだ。彼はETAにコンタクトを取り、新しいデジアナムーブメントの開発を急がせた。完成したのが、「エアロスペース」が搭載するキャリバー56こと、ETAのキャリバー988.332であった

 開発の経緯をシュナイダー本人に聞いたおそらく唯一の人物が、現『WATCH FILE』編集長の山田龍雄氏である。曰く、988の開発に携わったのは4人。その中心がシュナイダーだったという。面白いのは、彼がこれを今のスマートウォッチのようなブランド時計コピー超多機能時計にしたがったこと、そして操作をリュウズだけで行うということだった。アイデアマン、シュナイダーの面目躍如であるETA988。そう言って差し支えなければ、988とは〝ブライトリング初の自社製ムーブメント〟そのものだったのだ。

 

幸いにも80年代のETAには、シュナイダーの要求を実現できる、卓越した設計者たちが集まっていた。傑作2892や940を開発したアントン・バリー、彼の後継者であるレネ・ベッソン、そして「スウォッチ」の開発に携わったエルマー・モックなど。988の設計者名は明らかでないが、特許資料から判断する限り、後にロレックスの設計部長になるレネ・ベッソンと考えてよさそうだ。

 

もっとも、才能あるETAの技術者たちにとってさえ、988=全面液晶のデジアナは野心的な試みだった。トリュープはこう述べる。「最大の挑戦は、液晶表示に時分針の軸を通す穴を開けることだった」。穴自体は問題なかった。しかし穴を開けた結果、液晶にはムラが生じたという。ただしアイデアマンのアーネスト・シュナイダーにとって、これは障害でさえなかったようだ。「彼は液晶の上に文字盤を被せて、ムラのある中心部を隠させた。後にそれを知った他社の人間は、これは反則だと悔しがった」(山田氏)。エアロスペースが、本来必要のなかった文字盤(正しくは文字盤カバー)を備えた理由である。

 

またシュナイダーは、この新しいデジアナウォッチに、相応しい外装素材を与えようと考えた。それが軽くて錆びにくいチタン材である。結果、ヘッド部分の単体重量は、わずか34.3gに抑えられた。

 

多機能なのに説明書なしで使え、しかも装着感に優れるエアロスペース。その非凡な完成度は、新生ブライトリングに圧倒的な名声をもたらすことになる。



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